散歩と料理と小説と俳句と丸々
散歩は、糖尿病と心筋梗塞予後のためにしなくてはならないので、デジカメを持って我が家の近所を歩き回っています。 料理は、奥さんが働いているので夕飯を作ります。 小説は、夢を見続けて、小説家を目指しています。
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でんばー物語1
img015.jpg1999年10月1日に成田からアメリカン航空のダラス行きに乗った。
今もそうだが、当時も手帳にメモを残す習慣がなかった。
また、何か書いたとしても、字が汚くて後で読めた物ではなかった。
だから、このデンバー物語は、当時撮った写真から思い出した記憶の断片を紡いだ物語となる。まあ、10年近く経っているのでその記憶も曖昧だが、これ以上忘れないうちに記述しておこうと思う。
当時も、物書きになりたいと思っていたにしては、お粗末な習慣だ。
デジタルカメラなど一般的では無い時代だから、写真はディスポーザブルカメラで撮った。
10年経っているので、人物はその容姿を変えているかも知れないが、10年ぐらいではおいそれとは変わらない。できるだけ景色だけとか、人物の遠景を使うつもりだが、胸から上の写真も載せてしまうかも知れない。
と言っても、住所も名前も分からない状態だから、こちらから連絡することはできない。
物語の進行上勝手に使わせて貰うが、気付いて、困るという方はすぐに連絡して欲しい。その写真は物語から外す。
何故、ダラス行きの飛行機に乗ったのかと言うことだが、デンバーへの直通便が無く、ダラスでアメリカの国内線に乗り継いだ。
つまり、最終目的地はコロラド州デンバーと言うことだ。
では、何をしにデンバーくんだりまで行きたかったのか。
留学という、この上なく良い響きの言葉が当てはまる。
まあ、留学と言っても語学留学で、英会話を習いに行ったわけで、難しい学問を研究しに行ったわけではない。
でも、英会話は私にとって、難しい勉強だったし、習得することはついにできなかった。

img012.jpg

ビザは観光ビザではなく、F1ビザと呼ばれる留学ビザだ。
多少、デンバーに在住している従弟に助けて貰ったが、旅行代理店や留学屋さんの世話にはならず、留学先の学校と電話とファックスでやり取りしI-20を出して貰い、アメリカ大使館に申請してF1ビザをとった。やればできるが、方法は暗中模索、英語は無学文盲と来ては、一字一句を辞典で引きながらの気の長い作業だった。しかも、デンバーに行くと決めてから飛行機に乗るまでの時間はタイトだった。I-20のための留学先とのやり取り、パスポート、F1ビザ、航空券。書類の記入もあるし、卒業証明書、弟に依頼した身元保証レター、銀行の預金とその証明書。
この時期、ちょうどDTPエキスパート試験を受けて、課題提出締め切り日が9月6日、その日にアメリカ大使館にビザ申請用紙を取りに行った。9月7日にパスポートを申請し、就職活動をしていたので、紀尾井町の東京エグゼクティブという人材会社にも行った。
9月8日は町内会のゴルフで神崎カントリークラブに行き、翌9日に柏のHISに航空券を予約しに行った。9月10日午前10時が松戸北部市場祭りのポスター締め切り日だった。ぎりぎり間に合って市場祭りの関係者に手渡した。
9月14日にパスポートが出来上がり、その日にF1ビザをアメリカ大使館に申請した。
これまでの数日で、町田市の玉川大学に卒業証明書、成績証明書を取りに行き、500万円をかき集めて、銀行に預け、英語の預金証明書を出して貰い、弟に身元保証人レターを書いて貰った。持ち家を証明するための登記簿謄本を法務局から取り、武蔵野市役所まで行って戸籍謄本を取ってきた。もちろん、留学先の学校から留学許可受け入れ証明書I-20を郵送して貰っている。
初めは、北小金駅前のノバに駅前留学するつもりだった。
人材会社東京エグゼクティブで、
「キャリアは申し分ないのですが、これを読めますか」
と、A4に英語がびっしり書かれた物を差し出されたのが8月中頃だった。
見ても、読めなかった。
「解りません。これは何でしょう」
「オーストラリア大使館のIT関連の仕事の内容を書いた物です」
「オーストラリア大使館」
「そうです、大使館のIT主任の仕事なのですが、英語ができないとどうにもなりません」
「そうですか。今から、ノバに駅前留学してもダメでしょうか」
「とても、間に合いません」
来年は確かオリンピックがシドニーで開催されるはずだった。
「残念ですが」
「残念です」
これが切っ掛けだった。
再就職するためには、英会話ができないといけない。と、そう思い込んだ。
オーストラリア大使館はダメでも、まだ他にチャンスはあるかも知れない。
北小金駅前のノバに行ってみた。
今は倒産してしまったが、当時は駅前留学は全盛期だった。
授業料は高かった。
ふと、アメリカのデンバーに従弟が居ることを思い出した。
この時点では、アメリカに行く気など全く無かったが、何となく、英会話ならこの従弟だろうとイメージしていたのだ。
叔父から電話番号を聞き出し、一応時差を気にしながらかけてみた。
「英会話を勉強したいのだが、駅前留学でノバにいこうと思う」
経緯を説明すると、アメリカで勉強することを勧められた。
「ノバに払う金額より安く勉強できるし、24時間英語だらけだから、早く身に付けることができる」
「なるほど」
「で、どのくらい来られるの」
「1ヶ月」
「1ヶ月じゃ、何も解らない。旅行じゃないんだから」
頭の中では、すぐに再就職しなければならないという命題が明白となっている。
「じゃあ、3ヶ月」
「おいおい、無理だって。全くしゃべれないんでしょ。最低1年は必要だよ」
「1年は無理だ。半年でどうだ」
「半年か。英語がやっと解る程度かな」
「半年行ってみて、延長するかどうか決めるよ」
「わかった。良い学校を知っているから、手配しておくよ」
「ありがたい。よろしく頼む」
なんだか、値切り交渉をしているようだったが、気が付けばアメリカに行くことになっていた。
「アメリカに行ってくる」
「いってらっしゃい」
女房は良き理解者だった。
あるいは、居ない方がせいせいしたのかも知れない。

留学先の学校から書類が届いた。
I-20申請用の書類だ。
全て、英語で書いてある。全く意味不明だ。
辞書を片手に一字一字訳しながら日本語を振っていった。
日本語に訳しても解らないところが多い。
ホームステイ先としての条件が選択できた。
動物は、犬は、猫はなどである。
結果、40代中頃の独身女性がホスト先に決まった。
何となく、どきどきするような決定だ。
「40代半ばで、独身だってよ」
「それは、大変ですね」
何が大変なのか解らないが、町内の仲間たちはにんまりと笑っていた。
しかし、大きな見込み違いだった。
独身女性と言うことは働いていると言うことだ。
働いていると言うことは、留学生と充分に接することも、おいしい夕食も出せないと言うことだ。
しかも、アメリカの家庭的な雰囲気は望めないと言うことにもなる。
話を端折るが、2ヶ月でホームステイ先を変えて貰った。
ハロインを過ごした後、クリスマスは家庭的雰囲気が味わえるファミリーがいる先に変えて貰った。
条件に、美しいお嬢さんが居て、お金持ちでなどと勝手なことを言ったが、その通りの先を紹介してくれたのには驚いた。
img010.jpg  img014.jpg
初めににホームスティをした家は、デンバーの隣町イングルウッドにあった。
コロンバイン高校の銃乱射事件は隣町で、アメリカに留学したこの年の4月20日に起きている。ホームステイ中に、すぐ近くの銃砲店で娘さんの後遺症を悲観した母親が自殺をするという事件が起こった。静かで、寂しい町だったが、住人は必ず挨拶してくるほど気さくだった。しかし、ベッドも安っぽかったし、机の下はたくさんの学生たちの足の臭いがこびり付いていた。

img011.jpg  img013.jpg
12月から4ヶ月間世話になった二軒目のホームステイ先はオーロラの高級住宅街にあった。家のある住宅街は塀で囲まれていて、いかにも、金持ちが住んで居るぞという雰囲気だった。与えられた部屋は地下にあり凄い広さだった。
地下には、子供たちの部屋もあり、居間、ビリヤード部屋、コンピュータ部屋などがあった。子供部屋には風呂が付いていた。家屋の右側に駐車しているスバルのワゴンが私の車だ。3000ドルで購入した12年ものだが、故障ばかりしていた。アクセルをいっぱいに踏み込んでも坂道だとスピードが出なかった。この車に4人乗って、コロラド、ニューメキシコ、アリゾナ、ユタを旅してきた。ボールダーやキーストンなどのスキー場にも行った。壊れかけた喘息持ちのタフガイだ。

img020.jpg
変えて貰ったホームステイ先は、大金持ちの家で、二十歳の海兵隊所属の男の子を筆頭に、五人の子供たちが居た。男二人、女三人だ。美男美女だった。小さな子はロシアから5才の時に来て、8年で英語がぺらぺらだ。13才の女の子の友達でたまたま居合わせた。
赤いサンタクロース帽を被った子は18才だった。一番下の子が5才の女の子で、白血病だった。


F1ビザが下りないと航空券が手配できない。通常は10日間ほどかかるし、記載漏れや、怪しいところがあれば、呼び出されて面接を受けなければならない。
学校は1週間単位の随時入学が可能だが、10月4日からで申し込んである。
何としても10月1日には飛行機に乗らなければならない。
胃が痛くなるようなスケジュールだった。
10月24日に承認され、27日頃に届いたと思う。その足でHISに行き,航空券を確定させた。とにかく、10月1日には飛行機に乗れた。


学校はデンバーの中心地から外れた処にあったが、郊外ではない。
朝早くから真面目にみんな通学してくる。入口でたばこを吸いながら、覚えたての英語で話す。たどたどしいが、通じる。
img016.jpg
たいていは「Good morning」と挨拶してくるが、「What's up」と言ってくる奴が居た。
すかさず「Chinchin up]」と応えていた。元気だという会話だ。これは流行った。男の子はにんまりしていた。女の子には内緒だった。「What's」と返されると「I'm good」と答えた。

クラスも少人数で、しゃべる機会が多かった。
先生のネーティブ英語は、解らなかった。留学生同士だと通じるのだが。
img017.jpg


img018.jpg毎週末には、何らかのイベントが組まれていた。
ショートトリップには何回か参加したし、金曜日には時々パーティが開催された。

かの有名なボルダーの町だ。秋の一番良い季節なのか観光客が溢れていた。道端では大道芸人のパフォーマンスやダンスが披露されていた。


img019.jpg
ショートトリップは月に二回ほどあり、参加は自由だった。20ドルとか30ドルぐらいの参加料金で往復昼自動車、食付きだった。

img021.jpg
誕生日だの、グリーンデイだの、ハロウィンだの、有名人の卒業だの、何かにつけてパーティが行われた。

img022.jpg
ボランティアで海外交流を目的として、小学校のイベントに駆り出された。
ひょっとこ踊りを披露して、手品をおこなった。結構受けたのが嬉しい。

続きはまたの機会に書くつもりだ。
恋だの、冒険だのと言う話になるかどうかはお楽しみと言うこと、これからの展開を期待して欲しい。



【2008/08/18 06:54】 | 小説 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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