散歩と料理と小説と俳句と丸々
散歩は、糖尿病と心筋梗塞予後のためにしなくてはならないので、デジカメを持って我が家の近所を歩き回っています。 料理は、奥さんが働いているので夕飯を作ります。 小説は、夢を見続けて、小説家を目指しています。
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皆既月食
皆既月食。
月がこれほど立体的に、球体として、宇宙に浮かんでいる様を見ることができるなんて。
皆既月食は、三次元空間の距離を見せてくれた。
月の満ち欠けが数時間におよび、時間の認識を確認し、四次元の神秘を曝してくれた。

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寒さを忘れて、立ち尽くしながら、ファインダーを覗き、宇宙ショーを切り取っていった。
すばらしいカメラk-5が、皆既月食を確実に食べていった。


【2011/12/27 01:26】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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久しぶりに俳句ををひねり出す。(-。-;)
俳句の推敲課程を披露します。

今朝方、女房を勤め先に送る車の中で、間近に迫った法事の話をしていると、
大粒の雨が突然に雪に変わった。
まだ雨も混じっていて、霙(みぞれ)状態。
まあ、みぞれにしても、雪の中の運転は久しぶりだった。
昔は良く雪が降った。それも、大雪だった。
雪の降る中を運転していると、どうしても雪を見てしまい、前方から視線が外れる。
危険なこと、この上ない。
東北に転勤になって、雪の中の運転に慣れた。

法事を控え、みぞれで一句詠んでみた。


命日の 機を見計らい 春霙  (人子)

(めいにちの きをみはからい はるみぞれ)


春の霙(みぞれ)の季語は春、
春で有りながら冬の感じを覚えると歳時記に書いてあった。

春のまだ浅い日に命日があり、
その悲しみを知っている天が冷たい雪を混じらせて霙を降らせた。
と、詠んだつもりだが、
「機を見計らい 春霙」がイマイチ切れが悪い。
「機を見計らい」が俳句らしくない。

そこで、一日中、ああでもない、こうでもないと、口の中でぶつぶつと俳句らしき物を呟き、
歳時記を見たり、ネットを見たりしながら俳句を推敲した。
まあ、直感でさらっとできないときには、だいたい、ろくな句は詠めないのが相場なのだ。

ネットに三回忌について書いてあった。

「一周忌と三回忌は、『礼記』にある、
「親死亡して13ケ月の祭を小祥と言い、
25月の祭を大祥と言う」からきたものである。
祥とは幸いの意味で、それまで身につけていた凶服を脱ぎ、吉服に着替える。
この二つの祭を仏教に取り入れ、一周忌、三回忌とした。」

祥月命日とか聞いたことがあるかと思いますが、儒教では命日を吉日として捉えるんですね。

そこで、上の句がこうなりました。

大祥忌 吉服濡らす 春霙  (人子)

「だいしょうき きちふくぬらす はるみぞれ」

もう三回忌で悲しみも解けかけているけれども、
子を亡くした親の気持ちはまだまだ悲しさに満ちあふれている。
季節は春になりかけているけれども、
春の霙(みぞれ)は、雨に雪が混ざるほどに冬の名残を覚えさせる。
三回忌になれば、黒の喪服からダーク系の礼服に替えてもかまわないとされているが、
家族はまだ喪服で法要を営む。
悲しみを忘れかける時期が来たけれども、
忌日になると、まだ悲しみを覚えずにはいられない。
そんな、意味合いの句です。

本当のところは、
肥りすぎた私に喪服が着られるかどうかが問題で、
着られなければダーク系の洋服で、まあ良いか。
みたいなところを話していると、突然、雨に雪が混じり始めて、
「おお、雪だ」
「雨も降っているから、霙よ」
「じゃあ、あの黒いコールテンの服でいいか」
「あれで、いいわよ」
と言うことで、上の俳句が生まれたのですね。



【2010/02/28 19:50】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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やっと雨があがった。
やっと雨が上がりました。

車のボンネットに夕べ降った雨の名残がくっついていました。
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地に落ちず 秋霖の雫 天に帰す
(ちにおちず しゅうりんのしずく てんにきす)

秋雨の 鉄に滴り 地を知らず
(あきさめの てつにしたたり ちをしらず)

日が高くなればボンネットの雨粒も蒸発して、また、雲となり、雨となって降るのです。
長雨はまだ続くのでしょうか。
ここが目的地だと思っていても、その先にまだ未知の世界がある。それを知らずに元へ戻ってしまえば、同じことを繰り返すばかりだ。



こどもたちの元気な声で目が覚めました。
夏休みが終わって学校が始まったのですね。
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秋の朝 道に戻りし 子らの声
(あきのあさ みちにもどりし こらのこえ)

子らの声 弾けて黙す 法師蝉
(こらのこえ はじけてもくす ほうしぜみ)

法師蝉も鳴き声を止めてしまうほどの元気なこどもたちの声が、病気の我が身に入り込んで来た。なんだか元気になったような気がします。



この週末には「小金宿祭り」が開催されます。
長女は土曜日も日曜日もお囃子と、盆踊りの太鼓で参加します。
次男は日曜日の盆踊りの太鼓だけ。
長男は、今年はお休みするそうです。
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提灯が 踊り手を待つ 秋の夜
(ちょうちんが おどりてをまつ あきのよる)


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目に灯り 街人の並み 秋提灯
(めにあかり まちひとのなみ あきちょうちん)


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灯が点り 浮かれ提灯 駅の秋
(ひがともり うかれちょうちん えきのあき)



ようやく秋っぽくなってきました。



【2008/09/04 23:08】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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秋雨の富士川を散歩しました。(8/27)
秋雨の降る富士川を散歩した。
また、写真をいっぱい撮ってきた。その景色の俳句を詠んでみた。
俳句がなかなか出て来ないので、記事の進みに手こずった。
結局、このブログ記事の完成には2日をかけた。
途中で訪問された方は、訪問の度に、記事が増えていく様を楽しんだかもしれない。

IMGP0061 (1)秋霖に 動く影無し 花の寺
しゅうりんに うごくかげなし はなのてら

紫陽花の頃は観光客で賑わう参道も、終わろうとする夏のこの時期、季語ではすでに秋だが、降り続ける秋雨に人影も途絶えていた。


IMGP0062 (1)みずひきの 紅白になる 雨の粒
みずひきの こうはくになる あめのつぶ

紫陽花寺として有名な本土寺。その参道には様々な植物が植えられている。その中に赤い小さな花を鈴なりに付けたミズヒキがある。
花を上から見ると赤く、下から見ると白い。紅白の水引は御所水引という。


IMGP0063 (1)萎れ花 白粉の花 夜の花
しおればな おしろいのはな よるのはな

朝に死ぬ 白粉花を 雨が打つ
あさにしぬ おしろいばなを あめがうつ

路地には白粉花が競い合って咲いている。
基本的に白粉花は夜に花を開く。また、気温が下がる秋になると昼間も花を咲かせている。♪一夜限りに咲く花のように・・・。


IMGP0066 (1)濡れ朽ちぬ 実はまだ赤き 種トマト
ぬれくちぬ みはまだあかき たねとまと

実を残す 腐れトマトに 秋の雨
みをのこす くされとまとに あきのあめ

種茄子は秋の季語である。種を採るも秋の季語だ。種トマトも秋でいいか。夏野菜の畑は侘びしさが漂い始める。


IMGP0070 (1)秋の雨 凌霄花 散らす小径
あきのあめ のうぜんかずら ちらすみち

凌霄花は夏の季語だ。初秋の頃になると道に凌霄の花が散らばっている。人通りのない路地が鮮やかな色合いの大振りの花に埋もれていると、どことなく異国情緒を感じる。


IMGP0071 (1)黒き実を 秋野に隠す 山牛蒡
くろきみを あきのにかくす やまごぼう

ここにあるのは、洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)だ。山牛蒡は夏の季語である。しかし、黒い実は秋の藪の中でで目立つ存在だ。子供の頃は、ブドウだと思っていた。汁が手に付くと紫色に染まり、なかなか落ちない。全体に生命を落とすかも知れないほどの毒がある。漬け物などで食べられる山牛蒡はキク科アザミ属のモリアザミの根である。


IMGP0072 (1)秋雨を 葉に飾り付け 人目引く
あきさめを はにかざりつけ ひとめひく

たぶん低木に刈り込んだトキワマンサクの生け垣だろう。紫と緑の葉に霧のように降る細かな雨粒を纏わせて、水玉の粒の大きさを揃え、きらきらと光っていた。まだ新しい家屋を飾るのにちょうど良い光のデコレーションだった。


IMGP0105 (1)菊芋の 黄色が稲に 移りけり
きくいもの きいろがいねに うつりけり

キクイモとキクイモモドキはよく似ている。キクイモなら芋があって食べられるが、キクイモモドキには芋がない。夏の季語だが秋の中旬ぐらいまで花を咲かせる。
強靱な生命力が有り、至る所に蔓延っている。
その強靱な生命力が、稲に移り、人の身体に取り入れられる。私にも、キクイモの生命力が移るのだろうか。


IMGP0073 (1)人の手を 逃れしタカオ 咲く秋野
ひとのてを のがれしたかお さくあきの

ルドベキア タカオ。和名オオミツバハンゴウソウ。キク科の植物だ。園芸品種が逃げ出して、野に下ったらしい。ネットの植物図鑑に問い合わせたら、親切な方が教えてくれた。


IMGP0079 (1)白妙の 秋の向日葵 雨を避け
しろたえの あきのひまわり あめをさけ

白妙向日葵(シロタエヒマワリ)は大きな向日葵(ヒマワリ)と違って陽光を追う。夜は不思議な動きをするらしい。ここのところの秋雨でシロタエヒマワリは日を追えず、下を向いていた。


IMGP0100 (1)秋ついり 待宵草の 身を洗う
あきついり まつよいぐさの みをあらう

夫恋し 待宵草に 秋の雨
つまこいし まつよいぐさに あきのあめ

待宵の 草焦がれ死ぬ 秋の朝
まつよいの くさこがれじぬ あきのあさ

ここにあるのは雌待宵草で大待宵草より小振りである。夕刻に開花して、夜咲き続け、翌朝に萎む。一夜限りの密やかな恋が似合う花だ。上の句は、身を清め、化粧をして、逢瀬の夜を待つ女心を詠んでみた。中の句は、逢瀬の夜に思いを馳せるが、秋雨が降り、ことによると、相手は来ないかも知れないと心配する女の心を詠んだ。下の句は、恋に身も心も燃やした一夜が明けて、抜け殻となって朽ち果てた女の姿を詠んだ。


IMGP0077 (1)IMGP0094 (1)

IMGP0103 (1)秋微雨 人影遠し 土手の道
あきこさめ ひとかげとおし どてのみち

秋の傘 高い低いが 寄り添うて
あきのかさ たかいひくいが よりそうて

いつもは、ジョギングやウォーキングをする人たち、犬を散歩させる人たちと行き会うが、秋雨は人を土手から遠ざけていた。その遠いと遙か前を歩く遠い人影とをかけて、人影遠しと詠んでみた。



IMGP0081 (1)IMGP0085 (1)

IMGP0102 (1)鴨の群れ 今日秋雨の 止むを待つ
かものむれ きょうあきさめの やむをまつ

秋霖が 鴨を川辺に 同化させ
しゅうりんが かもをかわべに どうかさせ

寒さを覚えるのだろう。羽根に嘴を入れ、じっとして動かない。川で泳いで濡れるのも、秋の雨に濡れるのも、鴨にとっては違いはないと思うのだが、秋霖の底でじっとしていて動かない。


IMGP0082 (1)転がりて 別々を向く 大南瓜
ころがりて べつべつをむく おおかぼちゃ

南瓜ども 星座の如く 置かれたり
かぼちゃども せいざのごとく おかれたり

大き過ぎ 打ち捨てられし 南瓜ども
おおきすぎ うちすてられし かぼちゃども


IMGP0084 (1)IMGP0109 (1)

案山子殿 雀見てさて 何とする       腰屈め 農夫となるや 案山子の手
かがしどの すずめみてさて なんとする   こしかがめ のうふとなるや かかしのて

IMGP0086 (1)IMGP0087 (1)

IMGP0092 (1)強き草 秋雨の恵み 搦め捕る
つよきくさ しゅううのめぐみ からめとる

花しずく 秋の川辺の 虚を結ぶ
はなしずく あきのかわべの きょをむすぶ 

セイバンモロコシは牧草として栽培され、20世紀の中頃から野に下った。生命力は最強で、あっという間にそこら中に蔓延る。セイバンは西蕃と書く。蕃は蛮であり、西の夷敵を意味する。中国から見てヨーロッパのことだろう。最強の草の小さな花に付いた水滴に秋の川辺が全部映っていた。


IMGP0108 (1)秋霖の 底で人家は 息潜め
しゅうりんの そこでじんかは いきひそめ

どの家も 人影も無く 秋雨降る
どのいえも ひとかげもなく しゅううふる

秋霖と呼ぶには早すぎる長雨だが、立秋を過ぎた季節は秋になる。買い物に出る人影も、通りを通る人影もない。家人はじっと家の中に閉じこもっているのだろう。人家も畑も川縁も、濡れそぼっている。


IMGP0078 (1)どの草も 生き様を知り 実を結ぶ
どのくさも いきざまをしり みをむすぶ

秋の初めである。隆盛を極めた時は去り、小さな種に生命を封じ込め、静かに我が身が朽ち果てるのを待つ。日差しの弱さが、風の冷たさが、己のそんな生き様を気付かせてくれる。草でさえ自分の一生を知っているのに、わたしは自分の人生を見通せない。


IMGP0096 (1)IMGP0112 (1)

IMGP0097 (1)秋の田は 競うて黄金 錬金す
あきのたは きそうてこがね れんきんす

田水落ち いよいよ米の 近付きぬ
たみずおち いよいよこめの ちかづきぬ

稲濡れて 息災祈り 願をかけ
いねぬれて そくさいいのり がんをかけ

秋の田の始まりは、青いままの葉と穂、色づき始めた葉と穂が混じり合って、色合いが美しい。これから秋が深まるにつれて、田は枯れ色に染まり、枯れ色は黄金色になる。稲作も終盤に差し掛かってきた。しかし、せっかく田水を抜いたの、この長雨は稲の病気が心配だ。私の息災もついでに祈ろう。


IMGP0110 (1)この蜻蛉 この田の稲と 血を分かつ
このとんぼ このたのいねと ちをわかつ

穂の側で 蜻蛉もじっと 羽根を止め
ほのそばで とんぼもじっと はねをとめ

蜻蛉の目 穂の色合いを 同定す
とんぼのめ ほのいろあいを どうていす


IMGP0104 (1)IMGP0107 (1)

稲妻が 激しく愛を 注ぎたる
いなづまが はげしくあいを そそぎたる

雷が 稲なぎ倒し 渦を巻く
かみなりが いねなぎたおし うずをまく

秋の田の中に幾つもミステリーサークルができていた。原因は分からないが渦を巻いたようにして稲が倒れていた。雷光によって稲が実る。だから稲妻らしい。この雷光は歳時記の説明では雲の風雨も伴わない。晴れた夜空に遠くで光となっている、秋の季語だ。だが、ミステリーサークルの謎は、激しい風雨を抜きにしては考えられ無い。
雷は夏の季語で、雷光、雷鳴、豪雨を含めた現象と歳時記にある。つまり、ここ最近日本中に被害をもたらしている雷雲と一致する。稲が秋の季語だ。


IMGP0113 (1)肌紅き 唐胡麻の毒 役にたち
はだあかき とうごまのどく やくにたち

紅の妙 活けるみずまに 毒あらば
べにのみょう いけるみずまに どくあらば

唐胡麻(とうごま)。季語は秋だ。ここにあるのは生け花で使われる園芸品種の「みずま」であろう。「みずま」は紅い葉と、紅い茎をもつ。唐胡麻は「ヒマ(蓖麻)」とも呼ばれ、その種子は「蓖麻子」である。とげとげの殻の中に三っつ入っている蓖麻子は宝石のように美しい模様を持ち、しかも油が採れる。この油を蓖麻子油と呼ぶ。下剤として処方する、あのヒマシ油だ。唐から来て、胡麻のように油が採れると言う意味で、唐胡麻となったらしい。全体に毒がある。その毒を利用して下剤とするわけだ。
ヒマシ油の元だと知るまでは、この毒々しい色合いに、気持ちの悪い不気味さが先に立っていた。60年近く生きてきて、初めて目にした唐胡麻だった。




【2008/08/28 23:46】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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人子吟句 8/20
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初嵐 静まりかえる 蝉の庭

「あっ、部長だ」
蝉の庭は盆明けのオフィスか?

まだ、社長(野分)の登場じゃない季節か。

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初嵐 隠れ潜んで 幹の裏

「へへへ、ここにいれば」
寄らば大樹の陰かい。



【2008/08/20 07:27】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(3)
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送り火を焚く 8月15日
8月15日(金)
次男が気付きました。
「送り火焚いた」
「えっ。あっ、忘れてた」
すでにベッドに入っていた女房を起こします。
「送り火、送り火」
「ああ、そうだ」
家中が慌てふためきます。
仏壇の蝋燭に火が灯されました。
家族が次々と線香を上げて手を合わせます。
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「仏壇が 騒がしくなり 送り盆」

一頻りの騒ぎが収まった頃、おがらの準備をしていた女房が仏壇の蝋燭の火を運び出します。
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「送り火を 忘れ去られて 焦る父母」 

外には、風があります。
おがらも、湿っぽくなっていました。
なかなか火が点きません。
女房は何度も仏壇に行き、火を点け直しては外に運んできます。
おがらだけでは無理なようです。
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「父母泣きて 湿るおがらに 火は点かず」


「紙を保ってきた方がいいよ」
長男が紙を取りに行きました。
その間も、女房と次男はおがらだけで火を点けようと努力していました。
紙は絶大な力を発揮して、おがら全体に火を行き渡らせました。
おがらはやはり相当湿っていたのか、燃え残ったものもありますが、煙に乗って父と母はあの世へ旅立ったことでしょう。
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「帰れよと さとすが如く おがら焚く」


15夜の月はまん丸でした。たぶん木星でしょう、月の側に大きな惑星が光っていました。
父と母はどの辺りまで行ったのでしょうか?
極楽浄土までは遠いのでしょう。
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と待てよ。
女房が確かこんなことを言っていました。
「8月13日(7月13日)に地獄の窯の蓋が開き、亡者どもが地上に開放される。それが、迎え盆よ」
「へえ」
「地獄の窯が閉まる前にみんな帰らないと行けないの」
「早く帰らないと、帰れなくなっちゃうね」
て、帰れないと、ずっと、この世に居るってことなのか???
それに、極楽浄土じゃなくて、地獄、なの???

まあ、生前良いことをしようと、悪いことをしようと、一度は皆、地獄に堕ちて、えんま様の裁きを受けるらしい。
生命は平等なのだ。


【2008/08/16 15:32】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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盂蘭盆会
我が家では、お盆に苧殻(おがら、をがら)を焚いて先祖を迎える。
父と母が健在で、武蔵野市に暮らしていた頃は7月15日がお盆だった。
やはり、父と母もおがらを焚いて、先祖を迎えていた。
いつの間にか、我が家のお盆は8月15日となった。
お盆の季語は秋である。

今年の立秋が8月7日であったから、それ以後は秋である。
どこもかしこもまだ真夏の盛りだというのに、俳句の季語は秋を使う。
セミは夏の季語だが、弱々しく鳴く夜のセミは秋の匂いがする。


ひたすらに ただひたすらに 夜蝉鳴く


日を数え 朝陽を見ずや 夜泣き蝉


弱々し 明日は死ぬるか 夜の蝉



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ここだよと おがらを焚いて 話しかけ


門口で 父母に呼びかけ おがら焚く


百円の 細きおがらで 父母が来る


いつもより 遅れて来たる 僧と盆



【2008/08/15 04:21】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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6月25日の散歩ーーー富士川の土手ーーー
梅雨の晴れ間だった。

GEOの今回のDVD旧作半額レンタル期間は24日から26日までである。
そこで、GEOへ行った。
ほとんど借りて見ているので旧作で借りたいものは無いのだが、昔、映画館で見た「天地創造」と「偉大な生涯の物語」のリメイク版を借りてしまった。
実は6月27日に「マリア」がレンタル開始になる。イエスの母、聖母マリアの物語だ。
本当はこれを見たくてGEOに行ったわけだが、27日とは知らず、24日だと勘違いしていた。行ったついでに、余計なレンタルをしてしまったと言うのが本当のところだ。
「マリア」とは「聖書」繋がりでの連想で、「天地創造」と「偉大な生涯の物語」を借りてしまったという心理なのだ。
ついでに、「シンデレラ、2006年」と「モンテクリスト、2003年」を借りたが、両方とも過去に借りて見ていた。
もう一枚借りた「ローマンエンパイア、2004年」は過去に借りていなかった。「天地創造」に神の使い役で出演しているピーターオトゥールがシーザー役で出演している。

こう書いていると、カテゴリーは映画鑑賞のようだが、実は俳句のカテゴリーにしてある。
GEOを出た後、足が富士川に向かったのだ。つまり、そのまま散歩に出掛けたわけだ。
それで、書き始めの文章、「梅雨の晴れ間だった」になるわけだ。
梅雨の晴れ間の富士川では、そこに生きている生き物たちが私の足音と影を警戒しながらもデジカメの被写体になってくれた。

常磐線を越えて

富士川に行くためには、先ずは常磐線を越えて、線路の北側に行かなければならない。

「梅雨晴間 常磐線を 越えて行く」 つゆはれま じょうばんせんを こえていく


富士川の亀

梅雨の晴れ間の川は増水した跡を残している。
川の中の草が強い流れに弄ばれた儘の姿を晒していた。
至る所の、乾いた土手や中州ではイシガメさんたちが甲羅を干していた。

「甲羅干す 亀首のばし 梅雨を詠む」 こうらほす かめくびのばし つゆをよむ


富士川のかもたちの食事

夏鴨も多い。遊んでいるのか、餌を啄んでいるのか、やかましく騒ぎながら草の陰を動き回っていた。

「束の間の 晴れ間に群れる 夏の鴨」 つかのまの はれまにむれる なつのかも


富士川の鯉悠然と

汚れが流されたのか、富士川の水は思いの外澄んでいた。
その流れの中で大きな鯉が悠然と泳いでいた。

「梅雨休み 流れも鯉も 悠々と」


富士川のかもの親子

親子連れの鴨がいた。
母鴨は子鴨など気にしていないような素振りで、川を上っていく。
子鴨も母親など気にしていないような素振りで、気ままに遊びながら流れに浮かんでいる。
離れすぎれば、母の鴨は子を待っている。
母が見えなくなると子の鴨は母を急ぎ追いかける。
母と子は微妙な距離を保ちながら川を上っていった。

「巣を出でし 鴨の親子が 空けぬ水」 すをいでし かものおやこが あけぬみず  


富士川の土手、青田を渡る風

まだ青田と呼べるほど背は高くないが、時折強く吹く南風に青田面がなびき、風を見ることができた。

「青田波 競いて風の 吹き抜ける」 あおたなみ きそいてかぜの ふきぬける


束の間の梅雨の晴れ間、いつもの散歩道には生き物たちや風や光りや匂いが動き回っていた。
「生きていてよかったね」
私が何かに感動する度に、女房がそう言う。
生きていて、本当によかった。



【2008/06/25 16:04】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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雨粒を絡めた蜘蛛の糸
夜来の雨音が朝まで庭に鳴っていた。
浅い眠りの縁に雨音が時々触れて来た。
目が覚めたとき、雨音は止んでいた。
手を伸ばして、寝床から障子を開けた。
雨は止んでいるようだ。
ガラス戸を開けて網戸にする。
ひんやりとした重い空気が部屋の中に流れ込んできた。
また、生きて目覚めることができた。
ふと見上げると、庭先に大きな蜘蛛の巣が掛かっていた。
蜘蛛の巣は夜来の雨粒を糸に絡めていた。
曇り空の下だが、雨粒はきらきら光っている。
なんとも不思議な光景で、美しい。
しかも、蜘蛛の巣は張りが強いのか、あまり弛まず雨粒をしっかりと絡めている。
なかなか頑丈に織り上げたな。
だが、肝心の巣の主人は見当たらない。
この巣の有様じゃ、主人はきっと水腹に違いない。


水滴を絡めた蜘蛛の巣

庭先の蜘蛛の巣

蜘蛛の巣に宝石が

きらきら光る水滴を蜘蛛の囲が絡めていた。
店の主人は、雨粒のディスプレイだけしてお出かけのようだ。ちょと野暮用で。


「蜘蛛の囲に 夜来の雨が 雨宿り」

「蜘蛛の巣に 昼まで宿る 夜来梅雨」

「雨だれを 連ねて飾る 蜘蛛の糸」

「蜘蛛の巣に 夜来の雨の 玉雫」

「雨の粒 蜘蛛の囲露わ 主人いぬ」

「雨の粒 暴き出したる 蜘蛛の罠」

「蜘蛛の囲が 梅雨を絡めて 雲晴れる」

「蜘蛛の囲は 雨粒ばかり 水っ腹」

「絡まるは 雨だればかり 蜘蛛が餓鬼」

「蜘蛛の囲の 形の儘に 雨絡む」

「蜘蛛の囲の 雨を捕らえて 夢魔逃がす」

「蜘蛛の囲の 雨が真珠と 妻に見せ」


蜘蛛、蜘蛛の巣、蜘蛛の囲は夏の季語。


【2008/06/21 14:38】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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俳句も復活だ
身体と生命のために、散歩には行かないといけない。
ゆったりと、歩いていれば、暖かな陽光を感じ、肌に優しく触れる風を感じる。
五感、六感で地球を感じ、生き物たちを感じ、人を感じ、社会を感じ、自然を感じる。
そんな機会が日常となってしまった。
五感、六感が研ぎ澄まされた時、人は物思う。
五感、六感をクロスさせて言葉を綴る。五、七、五。
感じたままを言葉にすればいい。
感じたものの中に、真理が見えるかも知れない。
人の世の理なのか、自然の摂理なのか、研ぎ澄まされた感覚が冷静に物事を見極める。
時には、昂ぶった感情が真理を見抜くかも知れない。
その時、その場所で、自然体の心と身体が感じるままに言葉を紡ごう。

天狼のバックナンバー

天狼の昭和55年から56年のバックナンバーだ。
当時、天狼は本屋や駅売店で500円で売られていた。30年も前の500円である。
薄い雑誌の中には日本ばかりではなく世界中から投句された俳句が掲載されている。
主催は山口誓子である。
「海に出て木枯帰るところなし」
凄い句だと素人ながらにも思ったものだ。
そして、このような俳句を詠みたいと思った。
誓子78才ぐらいの時、私は彼の曾孫弟子になっていた。
大阪で定例句会が開催され、何度か直接お目に掛かることができて、感銘を受けた。
ホトトギス、馬酔木の時代の俳人なのである。


俳句の添削

私は外資系の医薬品メーカーでプロパーをしていた。今で言うMRだ。
当時、和歌山県立医科大学を担当していて、薬剤の関係で麻酔科に毎日のように顔を出していた。麻酔科の医師たちにたいそうかわいがられた。特に教授は私をすこぶる気に入ってくれたようで、教授室が私の休憩所になっていた。
教授は誓子の内弟子、三好潤子の弟子だった。教授は私に俳句を勧めた。
私は教授の弟子となった。つまり、誓子の曾孫弟子になったわけだ。
それは、決して気楽なものではなかった。
一週間で100句を作り、教授に提出し、添削を受ける。
接待のない夜はほぼ徹夜で創り上げる。
ほぼ一年がたった時、天狼に私の俳句が載った。
もちろん、一句選である。
それでも、赤飯を炊いて祝うほど大層なことだと教授に言われた。
忘れたが、たぶん、教授と美味しいものでも食べに行ったのだろう。


初めて選句された

昭和55年7月号。
一句選だが、私の俳句が初めて掲載された。
俳号は佐藤ひとし。名前をひらがなにしただけである。
「若布干し漁家の垂らせる黒簾」
わかめほし りょうかのたらせる くろすだれ
昭和54年8月から弟子入りして、1年後の快挙であった。
ちなみに、教授は二句選の身分だった。


初選句

八月号、 「肘枕してげんげ田に釈迦の如」
十月号、 「祖谷渓に生れたる蛾の灯を襲ふ」
十一月号、「天が下大の字となり背で泳ぐ」
一月号、 「古戦場人影もなき稲架(はざ)の陣」
二月号、 「稲架(はざ)の役果たして元の細丸太」
三月号、 「大聖樹梯子を掛けて星飾る」

いつも、掲載されるわけではない。九月、十二月は選句されなかった。
結構、落ち込んだ。
厳しい世界である。
その後、転勤等で投句をしなくなった。、俳人を廃した。

まあ、これからは気楽に吟行していこう。





【2008/06/19 18:05】 | 俳句 | TRACKBACK(0) | COMMENT(6)
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